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対談・神尾剛さんと

今回のゲストは、(株)ウィル代表・神尾剛さんです。同社のブランド、ギルティからは綺羅作品が多数、ゲーム化されています。最新作のゲームは「青の獣愛」を予定。

≪神尾≫ サラリーマンの頃に、私が最初に読んだ先生の作品は「女教師・恥辱の旋律」でした。二、三冊読んですっかり綺羅ワールドにはまり、以来新刊が出れば必ず買うようになりました。いつのまにか私の人生にはなくてはならない存在になっていたんです。
 三十五で脱サラして、ファミコン・ショップを開きました。ちょうどプレステやセガサターンが出た頃です。やがて、商品を置いて売ってるだけじゃ儲からない、これは作る方にまわらなくちゃと考えて、一年ほどで店を畳み、ゲーム会社を起こしました。今から十年前ですね。手っとり早く何本か美少女ゲームを作り、ノウハウも覚えたところで、先生の作品をどうしてもゲーム化したいと思うようになったんです。そこでフランス書院を訪ねたんですが、なぜか全然相手にしてもらえませんでした。その帰り道のみじめな気分は決して忘れられませんね。今でこそおかげさまで、フランスさんとも親しくお付き合いさせていただいていますけど。

≪綺羅≫ 帰り道に、神田川に向かって「パカヤロー」って叫んだって?(笑)

≪神尾≫ いえいえ(笑)。

≪綺羅≫ でも俺のところには全然伝わってなかったんだよね、その話。

≪神尾≫ でまあ、それからしばらくしてコア・マガジンの「メガストア」という雑誌に先生の連載が始まったんです。「淫獄の学園」ですが、連載中から反響を呼んでいましたし、これはぜひゲーム化させてもらおうと編集部を拝み倒しまして、それでようやく先生との念願の対面が叶ったわけです。新宿の滝沢という喫茶店で、初めてお会いした時の感動ときたら……。

≪綺羅≫ 大げさなんだよ、もう、神尾さんは。

≪神尾≫ いや、本当です。あの日のためにわざわざスーツを新調したんですから。

≪綺羅≫ 食事の後でバーに行ったんだ。前回の対談に出てくれた夏岡さんも一緒だった。俺、今でこそ焼酎党だけど、あの頃はシングル・モルト一本槍でさ。そしたら神尾さん、「私も先生と同じ物をいただきます」ってストレートで。その時は全然知らなかったけど、ほとんどお酒、飲めないんだったんよね、あなた。もうすぐに真っ赤になっちゃって(笑)。

≪神尾≫ はい。ですけど先生に言われて最近煙草をやめたら少しは飲めるようになりました(笑)。

≪綺羅≫ その夜は勢いづいて俺の家へ来て、朝まで飲んで。といっても俺ばっかり飲んでたんだけど。ところがなぜかその日に限って女房が下北沢へ飲みに行っていて、朝になっても全然帰って来ない。メンツ丸潰れで、終わりの方はプンプンしてたんだよね、俺(笑)。

≪神尾≫ とにかくそれが縁で、ようやく夢が実現して、その第一作が「美少女奴隷クラブ」でした。以来、年に二、三本ほどのペースで先生の原作をゲーム化させてもらっています。

≪綺羅≫ あなたの一番好きなヒロインは誰?

≪神尾≫ やっぱり藤平潤子です。それと助教授沙織。この二人が永遠のマドンナですね。理知的な大人の女性がどんどん堕ちてゆく描写がこたえられません。あとは「恥辱の履歴書」の人妻・冴香も好きですね。

≪綺羅≫ 最後に、ギルティの次の作品は「青の獣愛」とか。

≪神尾≫ ええ。果澄はいいですね、知的で優雅で。ウエブ連載中から楽しみに読ませていただいていました。特にあの居酒屋でクイズ形式で羞恥責めするあたりは秀逸ですねえ。発売はゴールデンウイークの前の、4月中旬を予定しています。今回のゲームではいろいろ新しい趣向を考えていますので、果澄ファンの皆さんには大いに期待していただきたいと思います。


左が神尾氏    右は筆者

2005年1月11日









チャッピーが我が家へ来たのは98年の夏だから、もう7年目を迎えた。
当時、私が夜中に散歩をしていたら、公園で草の匂いをクンクン嗅いでいる可愛い猫がいて、思わず声をかけてしまった。最初はちょっと用心していたようだけど、こちらに敵意がないとわかると、猫はすぐにすり寄ってきた。黒と白で、毛は少し長め、尻尾は短くカギ型になっている。これまで会ったどの猫よりも大きな丸い目をしていた。

しばらく遊んでから、私が家へ帰りかけたら、ずっと後をついてくるのだ。首輪をしているし、てっきり飼い猫だとばかり思っていたから、「あれ?」と私は首をかしげた。

猫は1キロあまりの道のりをずっとついて来た。途中、何度も「帰りなさい」と言うのだが、このオッサンを逃したらもう大変だという感じで、必死になってどこまでもついて来る。

とうとう私の住むマンションの前まで来てしまった。お腹がすいているのかもしれないと思い、自動販売機のパックの牛乳を買って与えてやると、ガブガブ飲むわ飲むわ、その時にようやく、捨てられたか迷子になったんだと合点が行った。

これも何かの縁だ、俺が預かってやるかと決めたまではよかったのだが、カミさんは動物が嫌いというか怖くて近づけない人で、元の場所に返してきて、と言う。ありがちな子供の頃のエピソードみたいだが、四十半ばにして本当にあった話です(笑)。

やむなくその時は公園まで連れ戻した。ここから先の経緯は長くなるので省略するが、近所のあちこちに貼り紙を貼っても結局元の飼い主は見つからず、約一カ月後、しぶるカミさんを説得して、晴れてうちで飼うことになった。

名前はチャッピー。「チャ」という語感が強くて呼びやすいし、その前に何かの本で飼い猫の名前に使われていて、とても感情移入してしまい、自分だけの「チャッピー」が欲しくなった。

何のことはない。今では、というか家へ来てすぐにカミさんの布団にもぐりこんで寝るようになり、ほとんど寝取られ状態(チャッピーはオスです)。あんなに動物嫌いだったカミさんもすっかり猫好き人間の仲間入りをしました。めでたし、めでたし(笑)。

可愛い顔をしているからまだ若いとばかり思ったら、飼い始めてすぐに歯が悪くなって、獣医さんいわく、確実に7、8歳はいっていると言う。何だか結婚詐欺にあったようだ。今は推定13、4歳か。やれやれ。でも痛んでいた牙を何年か掛けて4本抜いたらすっかり元気になって、まだまだ私にボクシングを果敢に挑んできます。


写真1


写真2


写真3

写真はいずれも最近のチャッピー。写真1は大好きな爪研ぎ台の上でお昼寝。チャッピーも主に似てBGMはジャズが好き。
2004年11月8日








対談・夏岡彰さん
対談一回目のゲストは、夏岡彰さん。夏岡さんは(株)コアマガジンの名物編集者で、熱烈投稿やニャン2倶楽部など数多くの人気雑誌を手がけてきました。「暴虐学園」「未亡人・肉奴隷」「淫獄の学園」等々、私も夏岡さんのかかわる雑誌でかなりの小説を書かせてもらっています。最近では「隷辱の肉舎」もそうです。ちなみに同社の『ブラボー・エキサイティング』という雑誌で、綺羅光原作「女教師・恥辱の旋律」の漫画連載が始まったばかりです。


左が夏岡氏   右が筆者

≪夏岡≫僕は昔から活字じゃないと興奮出来ないたちなんです。映像や写真だと、自分の脳内のエロのイメージからどんどん離れてしまうんですよ。

≪綺羅≫最初にSMに興味を持ったきっかけは何?

≪夏岡≫中学の時にクラスに本屋の娘がいて、その子を半ば脅してエロ本を持ってこさせていたんです。それがなぜかいつもSMマガジンとか、その手の雑誌でして(笑)。後で向こうの親にバレて顔が変わるくらいブン殴られましたけど(笑)。で、高校に入って冗談半分で「SM友の会」を結成しました。ちょうどSM雑誌の全盛期で、授業中にそれを仲間でまわし読みしたりして。

≪綺羅≫なんだかずいぶんショボい活動だね(笑)。

≪夏岡≫あとは日活ロマンポルノで団鬼六モノを観に行ったりしました。満座のなかでヒロインが恥辱を味わわされるのはまさに僕好みなんですが、映画だと「今」というリアリティが欠けていて、それが物足りなかった。僕にとってリアリティは重要なんです。その頃から露出系小説も読みまくりましたが、作者の妄想が行き過ぎてしまうと、どうしても白けてしまう。例えば女教師が教室で生徒全員の前で裸になる、という妄想は僕の中にもあります。でも、そこまで文章で書いてしまうとやはりリアリティがなくなる。綺羅さんのデビュー作、そして二作目を読んで惹かれたのは、この人はそこをよくわかっている、寸止めでリアリティを守ってくれる、と思ったからです。

≪綺羅≫ で、原稿依頼が俺のところへ来たんだ。まだコアマガジンではなくて白夜書房の時代だよね。『スパーク』というA4版の雑誌で、連載途中で『ビート』という名前になぜか変わって……。考えてみれば、その頃やはり白夜の『ルポルノ』で短編は書かせてもらっていたけど、連載小説はこの「女教師・恥辱の旋律」が初めてなんだ。

≪夏岡≫当時はまだ僕も編集者というよりは一人のマニアで、小説全体の構成というより自分の興奮するシーンだけを求めてまして。とにかく露出、露出、女教師を外へ出して恥ずかしい思いをさせてやってくれとそればかりお願いして。最後の方では、主人公の香澄を水着にしてほしいというこちらのリクエストに、綺羅さんは、水着の代わりに海で下着姿にする羞恥責めを書いてくれました。あれはとても興奮しました。

≪綺羅≫連載当初のイラストは忘れもしない、岡崎京子さん!

≪夏岡≫もったいないことに、綺羅さんの小説に対して挿絵がおとなしすぎると判断して、連載三回ぐらいで他の漫画家さんにチェンジしたんです。今回、会社の倉庫を探して、やっと当時のイラスト二点を見つけ出したんですが、今見るとこれが実にいいんですよ。

≪綺羅≫確かに。うーん、すばらしいな。

≪夏岡≫原作に忠実なエロでありながら、ちゃんと岡崎さんの世界にもなっているんです。

≪綺羅≫ではそろそろ夏岡さんに締めくくりの言葉を。

≪夏岡≫このたび『ブラボー・エキサイティング』という雑誌で、「女教師・恥辱の旋律」の漫画連載がスタートいたしました。絵はおなじみの左京景さんです。これから出来れば綺羅さんの傑作をどんどん漫画化していきたいと考えていますので、綺羅ファンの皆さん、どうぞよろしく。
2004年9月27日








眺めいろいろ
いやー、旅日記、我ながらショボかったな。構想は雄大だったんだけどな。
お詫びに今回は雄大な「眺め」をテーマにしてみました。

写真1は、小倉のリーガロイヤル・ホテルの部屋からの眺め。
21階の部屋の窓には一大パノラマがひろがって、いたく感激しました。
中央の山の向こうに関門海峡があるはずです。またこのホテルには立派な25メートル・プールがあり、誰もいないプールで悠々と泳げて気持ちよかった。超おすすめのホテルです。

写真2は、伊豆の仕事場のベランダからの眺め。夏から秋にかけてはもっぱらベランダで仕事をしています。若い編集にその話をしたら、大層驚いてくれたのでこれは証拠の写真。

写真3は、東京の自宅のベランダ。先日はここで竹書房の面々と飲み会を開きました。
右に見える高層ビルは都庁です。台風が近づいた夕暮れの空に暗雲が垂れこめています。

さて、次回の綺羅荘では、ゲストを招いての対談を予定しています。どうぞお楽しみに。

2004年9月7日 綺羅光








京都から長崎まで
京都から長崎までさてどうやって行こうかと時刻表をめくっていたら、どんぴしゃりの特急寝台「あかつき」があることを発見! 夜8時20分に京都を出て、翌朝8時54分長崎着。これなら酒も飲まずにすむし(一人で飲むのは苦手なんです)、たぶん仕事も出来るぞと、すぐにA個室寝台を予約。

ここで頭をかすめたのが、かつての苦い記憶。あれは12、3年前。上野から青森まで、二人用の個室寝台で行ったことがある。カシオペアだのトワイライトだの、そんなおシャレなやつでなく、けっこうぼろい汽車だった。翌朝着いたらすぐに雑誌の原稿を送らなければならず(沙織シリーズだった)、私は仮眠をはさんで一心不乱に執筆に励んだ。当時はモバイルもないしワープロは重たいから原稿は手書きにした。まもなく青森に到着します、という車内放送は聞こえたが、それまでうるさいくらいにやって来ていた車掌(やれ何とか記念のオレンジカードの販売だとか、あとなんだっけ?)は来ないし、窓からプラットホームは見えず、青森の街の眺めがひろがっていたから、到着前に一時停車しているのだろうとタカをくくり、ひたすら原稿を書いていた。
やがてガッタンッと大きく揺れて、何と汽車は逆方向に走りだした。ここに至り、ようやくのんびり者のカミさん(当時はまだ結婚していなかったが)がおかしいと思って、部屋から出て様子を見に行ったら、すでに乗客は誰一人もいなかった。とっくに駅に着いており、車庫に入りだしたのである。
そして何分くらいたったろう? 連れには申し訳ないが私はそれどころではなくて助教授沙織の濡れ場をひたすら書きまくっており、ようやっと規定枚数を書き上げて重い腰を上げたら、すぐ車庫に着き、お掃除のオバちゃんたちがどかどか車内に入ってきて、「あれ、あんたたち、降り忘れたのかい?」(本当はもっと正しい津軽弁だったが)とあきれ顔で言われたのだった。
オバちゃんに教えられ、車庫の近くにあるJRの事務室に行き、そこで事情を説明。厚かましくファックスを借りて出版社に原稿を送り、職員の人にクルマで青森駅まで送ってもらい、一件落着とあいなった。

話が横道にそれっぱなしになってしまったけど、それ以来の寝台車である。
あれから月日はたったし、少しはモダンな列車になっているのだろうと楽しみにしていたのだが、まるで変わっていなかった。相変わらずボロかった。

写真1は、車内の豪華設備。左のカーテンの向こうは車窓。テレビはビデオと一体型で、ただビデオを見るためだけのもの(テレビは映らない)。かなり古そうで、たとえビデオテープを持っていたとしても、この中に入れる勇気は毛頭ない。その下にあるボタン類は、BGM。全部で8チャンネルあったが、テープを回しているらしく、へろへろっと、少しよれた音色でチャゲ・アスが流れてきて、旅愁をかきたててくれたのであった。
その右手に少しだけ写っているのが折り畳み式の洗面台。手前に倒せば蛇口があらわれ、水を使える。

写真2は、入口から写したカット。広角じゃないとさすがに無理ですねえ。すみません。右側に映っている冷蔵庫みたいなのが、くだんのテレビ台(ちなみに冷蔵庫はない)。狭い室内で無用の長物と化しているのがよくわかる。
ベッドだが、映っているのは足元方向。で、さっぱりわからなかったのが、左側の壁にへばりついているソファー状の物体。とりあえず引っ張ってみたが、びくともしない。車掌に尋ねると、「あの、まあ今は背もたれのようなもので。眠れない時に寄りかかって、窓を眺めていただくとか」。昔は違う用途があったのだろうか。だってアームレストらしき物が付いているし。どなたかご存じの方、教えてください。

今回は特に締切りも迫っていなかったし、揺れる車内でレッツノートを抱えて原稿を書くのは目にきつそうだし、仕事は断念。早々と床に就いたら、適度な揺れが何だか気持ちよくて、すぐに寝てしまったのでした。

2004年7月21日 綺羅光








旅日記・04夏 京都篇
二週間の旅を終えて昨日帰ってきました。
旅のルートは京都−長崎−小倉−京都−東京です。
レッツノートを持って、移動の列車の中や、散歩途中の喫茶店、ホテルなどで原稿を書いていました(もちろん夜はもっぱら飲み歩いていたけど)。
ずっと部屋の中に閉じこもって仕事をするよりも存外、集中出来るし、ぽっとエロいアイデアが浮かんできたりして、いいんだな、これが。
ただし親指シフトではなくローマ字入力なので、かなりタイピングの効率が悪いのが悩み。もっとも、ふだん一時間に4枚も5枚も書けるわけではなく、このところますます遅筆の傾向に拍車がかかっているのだから、贅沢を言える立場じゃない。いつかは親指シフトとさよならをしなければならない時が来るのだし、今から少しずつ馴らしておかないと。

写真1は、旅の二日目。京都綺羅会の二次会。木屋町の眺めのいいカラオケボックスでした。
顔ぶれは大部屋俳優、バーテン、エンジニア、OL、SM女王様、バーのママなど。
前日、朝までべろんべろん状態で飲んでいた私は、高音の伸びが今イチでした(笑)。
ひよこちゃんが唄うクレイジーケンバンドの「タイガー&ドラゴン」に感涙。
結局、この夜も朝5時まで飲んで、バーテンのとおる君に付き合ってもらい、気持ちのいい朝の空気を吸いながら、鴨川を渡って三十三間堂隣りのパークホテルまで帰ったのでした。

写真2は、三日目午後、ホテル前の風景。正面に見えるのは智積院。右側、バス停でバスを待つ女学生の首のラインが好き。

それから今熊野商店街を抜けて、伏見稲荷まで歩いた。
ガイドブックによれば全国に4万あるお稲荷さんの総本社。
写真3は、楼門の前に狛犬の代わりに鎮座するキツネの雄姿。口にいわくありげな玉をくわえています。

2004年7月11日 綺羅光








伊豆の仕事場にて
1984年春に「女教師・裕美の放課後」で私がデビューして、ちょうど二十年になりました。
その節目の年に、こうしてオフィシャル・ファンクラブが発足したことをとてもうれしく思います。
コンテンツにある<作品履歴>に目を通していると、かつて連載していた雑誌の懐かしい名前が出てきて、その中にはもう消えてしまった雑誌もあるけれど、一緒に活字エロの時代を生きたという感慨がこみあげますね。まさか二十年間も、ポルノ小説一筋で飯が食べられるとは夢にも思いませんでした。読者の皆様のご愛顧はもちろんのこと、この偏屈者の綺羅光と忍耐強く(時には喧嘩もしながら)付き合ってくれた編集者の方々のおかげでもあります。本当にありがとう。
それからこの『ピカレスク』の生みの親、(株)ウイルの神尾社長にも深く感謝します。
今年の私の誕生日、しのつく雨の晩、名古屋のバニーガール・バーに招待してくれたことも忘れません。ただ、あの不気味な甘さとまずさの「琉球ハイ」だけは二度と飲みたくありませんが……。

さて、<綺羅荘>では、近況報告や新刊予定をお知らせしたりするほか、日常生活や旅先などで私の目に止まったものをデジカメ画像でお見せしたり、ゲストを招いて座談会をしたりと、いろいろな展開を考えています。たまにエロの本筋から脱線することもありましょうが、大目に見ていただければ幸いに存じます。

2004年6月 綺羅光